閑話 – 人工知能温故知新

 歴史は繰り返すであるとか申しますが、週末ということもあり、今回もゆるい話題です。

 この数年「人工知能」という言葉が頻繁に話題にのぼり、何か問題解決が望まれると「人工知能でなんとかすれば」という丸投げを受けている感がある人工知能ですが、この分野は最近になって登場した分野ではありません。私が大学院で研究をしていた1990年代後半にもありましたし、下記の示す1991年のコピー機のコマーシャルでも「AI(エーアイ)」と謳っています。

1991年のテレビCM

 人工知能分野での20年前と現在での「考え方」違いはあまりないのですが、まず2000年代に処理速度が高いコンピュータ(CPU)が非常に安くなったことと、2010年代に高速なグラフィックカードのGPUが安くなり、またGPUコンピューティングが(NvidiaさんのCUDAのおかげで)容易にできるようになったお陰でニューラルネットワークの学習が高速化されたことが最大の違いです。これによりCV(Computer Vision)で行っているように巨大なニューラルネットワークの入出力として画像そのものを扱えるようになり、実社会の問題解決への適用が一気に進みました。

 デザイン工学の分野にいた私の修士論文の研究テーマは、ワイングラスを見たときの人間の評価(例:都会的・高級感など)をニューラルネットワークに学習させ、これを評価モデルとして、目標とする評価を受けるデザインのワイングラスの形状を逆推論するという、2014年に考案された「GANs」の前身のような方法論考案でした。

 あの時分、ニュラルネットワークを構築して学習させる汎用的なライブラリ(現在のTensorFlowのようなもの)は存在せずほぼ全てをカスタムメイドしなくてはならなかったし、それを回す計算機もHP社製のワークステーションでも遅かった。そう考えると、ソフトウェア的にもハードウェア的にも進歩して、「何にどうやって適用するか」にフォーカスできるようになった現在は素晴らしいと素直に感謝の念に耐えない。

 今後の展開ですが、「感性」「道徳観」を人工知能に持たせるためのソフトウェア的な改良が進むことで社会への有効な適用が進むと考えられます。産業革命で動物という物体から動力エネルギーを分離したように、IT革命で紙メディアという物体から情報を分離したように、今度は人間という物体から知性や人間性という「性質」を分離することが必然の流れです。


 「歴史は繰り返す」といいますが、現象が繰り返すのではありません。本質的な因果関係が繰り返されるのです。その本質的な因果関係が何であるのかを見過ごさずにいたいものです。

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