数十年前に口頭で聞いて今でも忘れられない「むかしばなし」があります。水がない村と青年の話です。
むかしむかし、ある人里離れた田舎に小さな村があった。その村には飲み水が湧く井戸もなく、田畑に与える水をもたらす川もなく、村人は毎日10キロも離れた川に毎日水を汲みにいかなくてはならなかった。
村人が往復20キロを歩いて川から村に水を運ぶ生活に困り果てていたとき、村に2人いる青年の一人「海吉」が手を挙げた。「おら、朝から晩まで村のために水を運ぶ!」と。海吉は東から日が昇る朝から西に日が沈む夕方まで、毎日毎日、往復20キロを荷車を引いて村に水を運び続けた。ほどなくして、手を挙げなかったもう一人の青年「山蔵」は忽然と村から姿を消した。村人たちは毎日水を運ぶ海吉と、姿を消した山蔵を比べて「海吉が村のために頑張っているのに、山蔵のやつは逃げやがった」と山蔵を軽蔑した。
そうして、海吉が毎日運ぶ水のおかげで村人は飲み水を飲み、畑にも水をやることができて5年ほどたった頃。海吉は毎日の重労働がたたって体を壊してしまった。水の運び手を失った村人たちはホトホトに困り果てた。
そこへ、5年前に忽然と姿を消したもうひとりの青年「山蔵」が村に帰ってきた。「山蔵!お前はどこに行ってた!この5年、海吉が毎日朝から晩まで水を運んでくれてたんだぞ!」と村人は山蔵に食ってかかった。すると山蔵は申し訳なさそうに言った。「おら、都に行って2年ほど土木と治水の勉強して、そのあとで3年間、川からその山の向こうまで用水路を掘ってた」と。「あと半月もあれば川から村まで水を流す用水路ができる。そうなれば、もう誰も水を汲みにいかなくてよくなる」と。
それから半月後、村には川から10キロの用水路を通じて水が届くようになった。その用水路は、山蔵が年老いて天寿を全うしても村に水を運び続け、子々孫々の代まで村を支えた。
という話です。この話を聞いて思ったことはいくつかあります。
山蔵が村を離れる際に「海吉、みんな、おらは用水路を作るために5年ほど村を離れる」と言ったところで「わかった」と行ってもらえただろうか?おそらく「馬鹿なこと行ってないで海吉と水を運べ!」と言われただろうし、海吉も「それじゃぁおらが水を運ぶのは意味のあることじゃないのか?」と考えてしまったかもしれない。
個人の人生でも企業活動でも、長期的視点に立って臨む場合は結果が出る前はなかなか理解してもらえないことに取り組まなくてはならないことがあるように思う。ここにこそ人生の本当の戦いがあるのではないかと思う。
という閑話でした。